4.『vol.3: カクメ・イカ・クメイ展』
概要:マヤコフスキー、グループ展、異化
3部作の最後にして最大規模の上演となったのが「vol.3: カクメ・イカ・クメイ展」だった。会場は木場にあるギャラリー「EARTH+GALLERY」。70㎡の広さに4mの天井高をもつ1階フロアと一部中2階を使用した。
その名の通りこの上演は展覧会の要素を含んだ構成になっており、チーム・チープロのパフォーマンスに加え、彫刻・映像・音楽・衣装・記録パフォーマンス・照明・アーカイブ映像と、数々の作家による作品が集められたグループ展の形式を採った。ギャラリーの大空間に作品が配置され、その間を縫って4人の俳優たちも「パフォーマンス作品の展示」という位置付けで1日9時間の内容を4日間上演し続けた。
全体のテーマは、ロシア・アヴァンギャルドのムーブメントをトレースし、全体主義に向かっていく「革命」の過程を現在の東京に蔓延する違和に透かして問うこと、また、問われた主体(観客)に世の中の見方が変わるような「異化」をもたらすことだった。メインに据えられた人物は、猛烈な求心力をもつ思想とパワフルな言葉で若くして革命期ロシアの芸術を牽引した一人である詩人ヴラジーミル・マヤコフスキー。俳優と各作家は革命期ロシアへのリサーチを経て作品の制作に当たった。
リサーチの一環として「vol.2: 祝祭を待つ・賢治」の会場の地下室では「vol.3: ヴラジーミル・マヤコフスキー(仮)ワーク・イン・プログレス」を同時上演していた。これも6〜8時間連続で上演され、壁に投影された映像作品の前で、金属製の組み立て式の彫刻作品を組みあげては崩し、セリフを発する、ルールで管理された即興作品である。この上演はロシア・アヴァンギャルドや革命を題材にすること、また外部作家とともに作品を創作することの助走でもあった。
会場の構成と上演の記録
「vol.3: カクメ・イカ・クメイ展」の空間は観客と俳優の動線を基軸に配置された。動線は大空間の中を回遊するように設計され、上演全体と各作品のキャプション(作品番号、タイトル、素材、コンセプトなどが記載されている)の順番によってルートを規定された。その動線上を観客は自然と巡り、各作品を鑑賞しながら徐々に空間全体のコンセプトに触れていく。
一角にはバーカウンターがあり飲食OK。会場内は出入り自由、撮影も可能だった。会場にはミニマルな電子音楽のビートがだんだんと曲調を変えながら流れ続け(Takashi Watanabe)、照明が刻々と表情を変えながら点灯していた(磯山茜)。壁には映像作品が巨大に投影され(上原彩)、部分的に切り取られた後で別の衣服と接合されたようなデザインの衣装がかけてあった(鈴木和人)。会場の中心には鏡面に磨き上げられた細かな金属パーツから作り上げられた彫刻作品のタワー(阪上万里英)が、その側にはホイッスルを持ったスタッフが立っていた。フォトグラファー(コムラマイ)が俳優たちを追い続け、撮影した写真にコンピューターでグラフィックデザインを施し販売する記録パフォーマンスも行われていた(細谷修三)。その編集作業は反対側の壁にリアルタイムで投影された。入り口付近の椅子が置かれた部屋にはプロジェクターで稽古のアーカイブ映像が投影され(土井かやの)、反対側の通路の先では彫刻と映像がミックスされたインスタレーション作品が展示されていた(上原彩、阪上万里英)。俳優は台座の上で小さなパフォーマンスを行い(中馬智弘、宮田玲美、松本奈々子、安倍大智)、会場は同時多発的にさまざまな事象が起こる場となっていた。
この描写は「シーン1」と呼ばれる部分の出来事で、革命へと向かって盛り上がっていく時期を表現していた。俳優が会場を練り歩き、パパッと衣装を着替え、気合を入れる「しゃー!」という掛け声とともに台座へ向かう活気のあるシーンだ。台座の上で各々がバラバラに、マヤコフスキーの詩の一説を引用した20あまりの小さなパフォーマンスを披露していた。
会場内の観客の往来をカウントしていたスタッフがホイッスルを吹くと、パフォーマンスは「シーン2」(革命)に突如として移行した。音楽は途端に音数を増やして会場を盛り上げ、俳優たちは衣装を替え一箇所に集まって大声をあげ、大きなパフォーマンスを繰り広げた。シーン1でなされたような断片的な仕方とは違い、まとまった分量のセリフを4人の合同パフォーマンスとして打ち出していた。マヤコフスキーによる強烈な、明確なメッセージが革命の瞬間を祝福するように響いた。照明は俳優とタワーを劇的に照らし、ブーストを得たフォトグラファーはより劇的なカットを撮影した。急激に熱量をあげたパフォーマンスが一旦の終わりをみると俳優たちは着替えて散っていった。と思いきやホイッスルがすぐに鳴るので再び着替え直し、先ほど行った大きなパフォーマンスを今一度繰り出す。数分間の4人がかりのパフォーマンスは、スタッフが再三吹き鳴らすホイッスルを契機に無理矢理に何度も繰り返される。しかしだんだんとエネルギーを失っていく。次第に参加する俳優は減っていき、「劇的」であったパフォーマンスは徐々に壊れていった。
上演はそのまま「シーン3」(革命後)へ漸次的に移行していく。空間は寒色系の照明に包まれ、無気力・無感情な小さなパフォーマンスが、パフォーマンスになりきらない形でゆっくりと行われる。やがて俳優たちは一人また一人と目立たないところへ姿を消していく。スタッフのホイッスルと盛大な音楽だけが残り、それもやがて聞こえなくなった。数十秒から十数分の停滞の後、俳優の一人が照明の元に戻ってくると再び「シーン1」が始まり次第に活気のある様子に戻っていった。この反復が9時間x4日間続いた。
上演のつくられ方と参加者同士の関係性
この大規模・同時多発・反復の上演は、グループ展という形式が可能にした。個別の作家の作品が集まって1つの展覧会を形成するグループ展は、「vol.3: カクメ・イカ・クメイ展」が参照したロシア・アヴァンギャルドのムーヴメントそのものによく似ていた。
革命期ロシアでは誰からともなく芸術の熱量が増し、いくつかの芸術家の集まりが同時多発的に芸術運動を巻き起こし、それまで接触のなかった芸術家同士が関わりを持つようになった。個別に巻き起こった芸術運動が、それでも「なんとなく」同じ方向を向いて歩みを進めていたことも特徴的であった。「vol.3」制作当時は意識されていなかったことではあるが、トップダウンの構造で主張が浸透しメッセージが発信されていくのではなく、演出・俳優・参加作家がリサーチや意見交換の上に最終的には自身の判断と方向性で制作するような、「なんとなく」同じイメージを持ちつつそれぞれの方法で作品作りをする土台として「グループ展」は最適の形式だった。
上演までの間、チーム・チープロと作家たちはコンスタントに「宿題システム」を通じてやりとりをしてきた。作品制作が始まる上演1ヶ月前までの約2ヶ月間、毎週設定されるテーマに沿ったアイデアやリサーチを全体に共有し、「なんとなく同じイメージ」を示す基盤を作った。制作段階に入ってからは基本的に各作家の作風に任せ、上演にこぎつけた形だ。これによって、通底する要素(マヤコフスキー、ロシア革命、ロシア・アヴァンギャルド、全体主義、異化、現在、東京、etc...)が共有された上で、それぞれの作家が互いに影響しながら程よい距離を保ち、1つの作品を作り上げることが可能になった。
上記のような形で「vol.3: カクメ・イカ・クメイ展」において「ロシア・アヴァンギャルドのムーブメントをトレースする」ことは制作過程においては実現されていたと言えるだろう。しかし一方で、当初試みていた「『革命』の過程を現在の東京に蔓延する違和に透かして問う」ことや、「問われた主体(観客)に世の中の見方が変わるような『異化』もたらす」ことが達成されたとは言い難い。上演後の観客の感想に「色々な要素があって刺激的だった」というものは多かったものの、「問われた」と感じているようなものは見受けられなかったのだ。
その原因についてチーム・チープロと参加作家は「Composition」(配置・編成)と「Concept」(概念・意図)の難しいバランスに偏りがあったと分析した。「ムーブメントをトレースすること」、つまり大所帯で作品を作る、しかも共通の要素に基づくとはいえそれぞれの作風を保ったままに集まる作品たちをどう編成するか(Composition)に力を注いだ結果、「問うこと」「異化作用をもたらすこと」(Concept)が観客まで届くほど練られていなかったと。
ただし一部には、会場全体に配置されたキャプションや、アーカイヴ映像(稽古中のやりとりを記録したドキュメンタリー映像)の展示ルームなど、理解を補助する機能を配置していたことによって一段深い部分の視点を持つことができたという意見もあった。このことは、観客が「問われた」と感じるまでには至らなかったとしても、上演の編成を楽しんでもらうことの一歩先、一層深部にある問いにアクセスすることにほかならず、数々の試行の収穫の一つであったと言える。