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​《ブギウギ・S》のための9日間 座談会

​公開日:2023年8月31日

​編集:藤崎春花​

作品に対する評価の枠を飛び越えて、ダンスを語れる言葉を作りたいという野望から生まれた今回の取り組み。ダンサーの穴山香菜と振付家・ダンサーの中屋敷南を招き、チーム・チープロを含めた4人での座談会を行った。5月28日から6月4日にかけてYAU STUDIOおよび、有楽町のまちなかにて上演された《ブギウギ・S》ショーイング+ディスカッションの感想を出発点に、ダンスを取り巻く様々なトピックをざっくばらんに語る。

🌛座談会詳細
開催日時:6月30日 10時~12時

​場所:YAU STUDIO
参加者:穴山香菜、中屋敷南、西本健吾、松本奈々子、藤崎春花

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2人からみた《ブギウギ・S》のための9日間

松本:今回の企画は、チーム・チープロの製作中でも語りと感覚を中心に置いて作っていて、作品に関して、誰の言葉を聞きたいのかを考えたときに、実際に踊っている方に聞きたいと思って、お二人に今回の座談会に参加していただきました。しゃべりながら、どんどん言葉が変わっていっても全然いいなと思っています。まずは、感想を聞かせてもらえますでしょうか。   

 

中屋敷:作品がすごく丁寧に作られていて、作り方がすごく良いなと思いました。リサーチと振付の接続にも納得でした。台本がポスターみたいに貼られていて、そこに詳細な情報が書き込まれているのは、観客側にも親切でしたよね。アーティスト側も、変遷の軌跡を辿れるので、作品を外から見られる点も良い印象的な感じで素敵でした。  

 

穴山:まずドカンときたのは北村サヨ[1]をやったこと。有楽町って東京の真ん中じゃないですか。いろんな人が仕事で集まって、いろんなことが行われて。集まって帰るっていう繰り返しの中のど真ん中で、サヨをやる感じが私は大好きだったんですけど。前半は月経をテーマにしていたんだよね?  

 

松本:前半の最初の部分はそうです。

 

穴山:私は自分の身体に落とし込める感覚をすごくもらいましたね。自分も戦っているような感覚で観ました。冒頭の月経については、当事者としての女性のことだし、奈々子ちゃんもすごくリアルに話していて、普段見せないことをあえて言葉にするところに勇敢さも感じました。私は前半部分が特に「そっっ!うっ」みたいに力むことが度々ありました。奈々子ちゃんの語りと、自分を重ね合わせたのかな。そこから、急にブギウギの歌[2]に移るというレシーブ、なんか球を投げられるみたいでした。作品の中の変化の激しさ、シーンの切り返し方にはずっとドキドキさせられました。あと言葉ですよね。その場で、落ち着かせないで、どんどん言葉を重ねることによって、 「これは奈々子ちゃんに実際起こってることなのか、それともお腹の考えてることなのか?」みたいな、なんかわけわかんない感じにさせていく。それで最後外に踊りに行っちゃうからすごい。なんかこうね、自分の身体に落とし込める感覚をすごいもらいましたね。以上!  

 

松本・西本:ありがとうございます。

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photo by :Leo Arimoto

品の外側にあるものとの接続

 

中屋敷:今回の作品を後から振り返ると、「鈴」が結構重要なんじゃないかなと思って。終演後のアフタートークで会場からも「マイクのコードをいじった時に床に置いてあった鈴が鳴っていたのはあえてですか?」といった質問がありましたよね。奈々子さん本人は質問を受けたとき、きっぱり説明をする感じではなかったけど、すごくこだわりがあることが伝わりました。私は鈴の存在に、作品の構造からはみ出す身体というかエネルギーを感じました。鈴の存在は作品の流れとは全く関係ないけれど、その意味のわからなさにすごく惹かれたし、私が鈴の存在を自然に受け入れられたのも説明の外にある感じがしますね。

 

穴山:私も鈴はすごく印象に残っています。はっとする感じでした。あと、今も電車の音が聞こえるけど、これもすごいですよね。この効果音、呼ばないのにずっと来ちゃうから。(編者注:JR有楽町駅がYAU STUDIOのすぐそばにある為)上演中も、ここが有楽町であることを毎回外の音から呼び覚ましてもらえた。この音と奈々子ちゃんの身体が接続されて、そのまま過去にも繋がっていくような感じ。だから、奈々子ちゃんの声もすっと入ってきたのかな。

 

松本:そう、今回は発話してみたんです。前回香菜さんに観て頂いた《皇居ランニングマン》[3]《京都イマジナリー・ワルツ》[4]は、Amazon Pollyの自動音声を流していました。

 

穴山:やっぱり、自動音声と人が喋るのは、全然違いますね。Amazon Pollyが話すと上の方から話されている感じがする。それはそれでナチュラルではあるのだけど、目の前に存在する人が発話することで、格段に情報量がプラスされると思う。奈々子ちゃんは、色々な動作や力の入れ具合のバランスを使いながら喋るから、行為そのものについて考えさせられるんだよね。自分に返ってくるような感覚になる。

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屋敷:冒頭の肚の言葉も、自分の声で直接話していましたっけ?

 

松本:はい、でもマイクを使っていました。

 

穴山:全体的にマイクを使っていましたよね。マイクに向かって話すのって、人に披露するっていう側面が強くなると思うのですが、その感じが結構斬新かなって。マイクを持たないで、喋っても成立するし、その方が観客も見やすいかもしれない。そこで、敢えてマイクを持つ選択をしたことが気になったかな。

 

松本:確かに、外に向かって喋るぞっていうポーズとしてマイクを採用したと思います。俳優だと出てきて立つだけでそのポーズをとれる人もいるけど、私は俳優ではないので、人に向かって何かをしゃべる時に、そういうポーズを取りたかった。テクストをただ読んでいると、すごく内にこもる感じがあって、それをどういう塩梅で外に出していくか模索する中で、マイクを使うことにしたかもしれないです。でも、どこに向かって話すのかというのは、やっていても、結構難しかった。観客が大勢いるのではなくて、一人一人の顔がすごく見えてしまう距離だったので。私が自分の肚の言葉を話すという二重性においても、何に向かって喋ればいいのか、ちょっと混乱気味でした。

 

穴山:その混乱のなんかこうじわじわする感じに、自分も「ううっ」ってなりました。
 

松本:構成の面でも、今回はえいやっ!ほいやっ!と作ってみて、急にブギウギを踊ってみたら、どうなるだろうみたいなことを試しながら、調整していきました。けど、繰り返しながら、構成として固めていくと、外側のものも全部内側にきて、自分の言葉になってしまう。自分の身体と言葉が完全に一致しちゃうと、観客が受け取る「ふん?」みたいなものが消えてしまうと思っています。そうならないように、マイクとか鈴とかを風景の一つとして置こうとしていたのかもしれないです。

 

穴山:外のものを入れてみて一致するかしないかみたいな感覚は、見ている側も興奮とも違うのだけど、常にドキドキしながら体感したかも。奈々子ちゃんの怖さではないけど、このままいっちゃうと、もっといっちゃうんじゃないかっていう、そういう危うさがすごく良かったなって思う。奈々子ちゃんが最後に北村サヨをやったときさ、結構サヨだったじゃない。

村サヨが踊られた理由

 

穴山:唐突だけど、なんで北村サヨを踊ることになったの?

西本:「有楽町の歴史」みたいな写真のシリーズ[5]が朝日新聞から出ていて、そこに踊っている人が写っていないか探したんですよ。

 

松本:そこで見つけたのが、サヨの信者の写真で、こういう感じで踊る人がいたっていうのを1年前ぐらいに知りました。そこに日劇[6]があったし、職業としてのダンサーがこの街に昔からたくさんいたことはわかったけど、結局サヨの方が興味あるなと思って。

松本:で、やってみたくなった。北村サヨが肚のなかにはいってきた異物にのっとられて語っていたというところでは「hysteria プロジェクト」[7]との関連性もあったけど、面白いおばさんが歌いながら説法しているのをみつけたら、やりたくならないですか?

穴山:そのチョイスがすごい。この流れだとやってみたいと思うけど、何もないところから手をつけようとはならない(笑)

西本:実際の踊りはそんなに残ってないんですよ。盆踊りみたいな手踊りなんですけど、足を踏みながら手をひらひらさせるような。ただ、あんまり残ってないのをいいことに好きにやれた。

 

松本:サヨの書き込む余白がある部分に、惹かれたのかもしれないです。

 

穴山:数寄屋橋公[8]のど真ん中でやったのも、面白かった。すごい舞台だったよね。しかも程よく人が集まってきて、 あの感じは最高だった。

言葉の取りこぼしを自覚することとは

 

西本:中屋敷さんもこの間の作品[9]で、言葉を使われましたよね。

 

中屋敷:使いました!この間のパフォーマンスでは、ダンサー間でのコミュニケーションをとることが第一の目的でした。なので、観客に向けて発信するというよりは、自分たちが「胃を掴む」と相手に言われたら、言われた方が「胃を掴まれた」と思えるようにするといった感じです。けど、観客の中には、言葉が邪魔だったという人もいました。

 

西本:踊りながら喋るのってどうですか?

 

中屋敷:難しいですよね。この前はセリフを決めたわけじゃないので、胃を掴んだ後に次どうしようかなって考えなくちゃいけないんです。あと相手からの情報とのラリーなので、上手くいく時は、「水が出る」「水が落ちる」「それが広がる」っていう風に文章になっていくんですけど、結構スリルがある感じですね。身体の中のイメージや感覚を自分で喋りながら、踊ろうとする挑戦でした。

 

穴山:言葉を使おうと思ったのは、どういう流れで?

 

中屋敷:言葉を使うしかなかったですね。コンタクトワークは言葉がなくても、相手の身体を触ったら相手の状況がわかる感じがあるので、むしろ身体が饒舌になるんですけど。この間やった作品は相手の身体に触れることをしなかったので、その状況でコンタクトをしようとするなら、会話をするしかない。そこで、「こんにちは」「おはよう」でもなくて、自分の身体の内側で起きていることを自分の言葉で説明し、イメージしながら投げかけ合うコンタクトになりました。

 

西本:今回作品を作っていて思ったのは、喋るのも身体を使うことじゃないですか。:肚を震わせて音を出すから、身体を使っていることの一部なんですよね。踊ることと同列にやれるのかなと思ったんですけど、やっぱりなんか違う。違うっていうか、喋る行為と、踊る行為は同じ身体を使うっていうことで同列に語れないのかなと思いました。

 

中屋敷:全く同じでは絶対ないですよね。

 

穴山:私が言葉を使いながら踊る時は、言葉と身体をいかに切り離すかということを心がけていて、身体と言葉が一緒にならないようにします。そこが一緒になっちゃうと結構嘘っぽくなるんですよね。言葉を話すための身体の状態って難しいよね。

 

中屋敷:なんだろうなあ、でも一緒になるっていうのは、頭で考えちゃうからなんですかね。何も考えないで踊った方が踊りとしてはいいみたいな。

 

西本:えっ考えてないんですか?

 

中屋敷:言葉になる前のひらめきとか反射神経というかそういうものが瞬間、瞬間に起きている状態は嘘がないんじゃないかと。

 

穴山:うまくいったときは文章になるって言っていたけど、うまくいかないときってどうなるの?

 

中屋敷:うまくいかないときは、言葉に詰まっちゃう。何を喋っていいか分からないから、相手に「あれを」「それを」っていう指示代名詞を多用しちゃう。自分のことが言えないから、相手に頼る状態になってしまいます。そもそも、私は作品の説明とかをしたくない人間だったんですよ。説明とかどうでもいいから、とりあえず作品を見なさいよっていうぐらいの態度でした。けど、コンペとかで誰かに作品を伝えるのだったら言葉にしなきゃダメでしょって言われたりもして、それは確かに大事なことだなと思うんですけど、根本的に私はそんなに喋ることが好きじゃない気がするんです。言うことをメモしたとしても、その隙間にはもっと大事なことかもしれない取りこぼしが無限にあるので、だからこそ、言葉になる前のもので、取りこぼしを瞬時に身体でキャッチできる感覚があれば、それは嘘がないし、見ているほうもすっと受け入れてくれると思います。

 

松本:作品の中で言葉を使うときに、それが説明という使い方か、それともさっき言った鈴みたいに置くといった使い方なのかで、結構違う感じがします。チープロでも、自分が取りこぼしていることに気付かなくさせるような言葉を極力使わないようにしています。それは、西本さんからすると見ている側で、私からするとやる側なので、違う視点から調整しようとしているのかなって。

 

西本:テクストの言葉として、かなり説明しきってしまうワーディングだとまずいけど、あまりに離れていても機能しない。難しいですよね。奈々子さんにとって超大事な言葉でも観客にとっては理解しづらい場合もある。そういう言葉は、観客には出さずに、振り付け用の言葉として残しますね。

 

松本:心に留めておく言葉も結構ありますね。

 

西本:この間の作品だと「頭に溜まった汁が糸として出る」という言葉。これはどこにも置きようがなかった。いきなりサヨの話の時にこの言葉を出せないじゃないですか。無茶がすぎてしまう。

 

中屋敷:どうなんですかね?私はそういう言葉が、この間の上演の中に急に出てきてもいいんじゃないかなって思う派なんですよ。

 

穴山:私も南ちゃんと同じ意見かもしれないです。そういえば、今回の作品で、ココナッツの匂いと排泄物が混ざりあうというようなセリフの表現があったと思うけど、私はあの言葉を聞いたとき、うわーってなりました。普段の生活では合わさらないような、無意識的に思わないようにしていることがあえて言葉にされると瞬発的に突き刺さるものになるよね。

 

松本:そうですね。セリフとしては使わなかったけれど、「頭に溜まった汁が糸として出る」という言葉も、邪魔しない言葉だったから、自分のための言葉として書いて残しました。振付の邪魔にもなるので、邪魔する言葉は黒く塗ったりしています。言葉に対して当て振りしているわけじゃないんですけど、こういうイメージで動こうというのを仮留めしていて、そこから動きを広げることが多くて。その言葉の仮留めから、どこにも行けないとか、すごく制限として機能するときは、自分の方にも降りてこないし、自分じゃない方にも行けなくなってしまう。

 

穴山:そういうセリフ内/外にある言葉の選択の試行錯誤が積み重なって作品になると考えると、改めてすごく素敵なことだよね。

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photo by :Leo Arimoto

乗っているもの/乗っていないもの

 

中屋敷:私がダンスを始めたのは、部活だったんですけど、野球部でいうと甲子園に行くような強豪校でした。だから指導もすごく厳しかった。私がそう受け取っただけかもしれないけど、感情を吐露しながら踊ることが求められていた気がします。綺麗に踊るだけじゃ納得されないような空気感がありました。例えば、文学だったら、言葉に作家の体重が乗っているかどうかって読者に伝わるときがあるじゃないですか。それって踊りも一緒で、同じ動きをやるのでも、そこにしっかりとその人が乗っているか、乗ってないかって、見ている側にも伝わりますよね。ただ、それをひたすら繰り返して、全ての振付に自分を乗せていくことは結構大変な作業でもあります。けど、最近はそういう神経回路が自分の中で出来てしまっているので、苦しさからくる気持ちよさで動いている所もあるかもしれないです。

 

西本:チープロでもよく話題になるんですが、言葉にも外部化されたエネルギー源のような意味合いがある気がしています。つまり、踊りに言葉が入ると反射が起きて、それがエネルギーになって、身体が動かされるっていうイメージがあるんですよね。中屋敷さんは、ご自身の回路に供給されるエネルギーは、どこから来ますか。

 

中屋敷:簡単に言えば、感情ですね。例えば、生理周期でイライラする日を思い出して、作ったりします。でも、感情は有限だし、疲れちゃうから、この回路は永遠には続かないはずなんですけど、不思議とずっとそうやっています。たしかに、言葉や音楽にもそのエネルギーはあると思います。特に音楽は、メロディーを少し聞くだけで、ある情景をバーンと思い出させてしまう大きな力をもっていますよね。

 

松本:香菜さんは、インプロをよくされていますよね。そのとき、自分というものをすごくオープンにされていますが、インプロでの言葉と踊りの関係性についてはどう感じますか。

 

穴山:そうですね。私は踊るとき、最終的に言葉を信じないかもしれないです。多分言葉を重要視していないのかな。何かが乗ってない言葉ってすぐにわかっちゃいますしね。やっぱり執着するのは、人間の身体なのかな。

 

中屋敷:言葉を信じないのはすごくわかります。けど、言葉を信じている人からしたら、何かが乗っていないことも、わからないのかもしれない。わかると思っている私だって、気のせいかもしれないし。

 

穴山:そうだね、言葉を信用している部分もあるはずなのだけど。なんだろう。言葉では何でも説明できるからこそ、身体から出てくるものに対して、そういう言葉は使いたくないと思ってしまうのかも。

 

松本:私は言葉を道具ぐらいに思っています。よくコーヒー屋で豆の味を説明するんですけど、豆の味を自分の内からの言葉や感覚で説明することよりも、お客さんが納得して、想像して、買いたいと思うような言葉を紡いでいくことが仕事だと感じています。

 

穴山:なるほど、多分自分発信の言葉ってすごく難しくて、相手がいてこその言葉なんですよね。

 

松本:お店という場所では、どうしてもお客さんとスタッフという立場で交わされる言葉のシチュエーションが約束されて、成り立ってしまう。ただ、劇場という場では、その言葉がもっとほぐされて使うことができるのかなって信じています。

[1]北村サヨ(1900-1967)は山口出身の主婦、新興宗教天照大神宮教の教祖。路上で踊り、歌い、説教をするため「踊る宗教」とも呼ばれた。戦後、有楽町の数寄屋橋でもその踊りを披露したとされる。

[2]ここでのブギウギの歌は笠置シヅ子(1914-1985)の「東京ブギウギ」(服部良平 作詞作曲)のこと。

[3]チーム・チープロ《皇居ランニングマン》(STスポット、ラボ20#22初演)

[4]チーム・チープロ《京都イマジナリー・ワルツ》(THEATRE E9 KYOTO、KYOTO EXPERIMENT 2021AUTUMN初演)

[5] 朝日編集社編『有楽町60年 朝日新聞社のうち・そと』1984 朝日新聞社。

[6] 日本劇場はかつて有楽町に存在した劇場。1981年に閉館。笠置シヅ子の「東京ブギウギ」もここで初披露された。

[7] 「hysteria(ヒステリア)」プロジェクトは、「hysteria」という言葉をキーワードに社会的に構築される〈女性〉の身体をまなざす欲望を転じ、踊りを創作するチーム・チープロによる、リサーチ・ダンスプロジェクト。リサーチの記録(月報)はブログへ。

[8] 江戸時代に江戸城の御堀に架けられた数寄屋橋の所在をしめす石碑が建つ公園。数寄屋橋は、関東大震災後に石造りの橋に建て替えられ、1958年に外堀が埋められ東京高速道路が建設されるのに伴い取り壊された。

[9] Minami Nakayashiki installation + performance《みえないけどいる -touch the ghost skin-》振付・出演は中屋敷南、共同振付・出演は中村理。2023年6月16日~18日までBankART KAIKOにて上演。

 

編集後記(藤崎春花)

今回の座談会で繰り返し話されたことは、ダンスにおける「言葉と身体の関係」でした。ダンサーの視点だからこそ、感じられる、言葉と身体を切り離すという感覚。奈々子さんは、言葉を、舞台装置であった「鈴」や「マイク」と同列で説明していました。作中に、わかりやすさを促す「説明」として言葉を置くのではなく、むしろ、言葉/作品の外にあるものこそに気づいてほしいという願いから、違和感を生じさせる「ノイズ」として機能させていたことがわかりました。正解が用意されているのではなく、立ち止まらなければ過ぎ去ってしまうような、わかりにくさを表現するという芸術の本質的な役割について立ち返る時間になりました。

登壇者プロフィール/ 
穴山香菜 
instagram
ダンサー。青森県弘前市出身。3歳よりクラシックバレエを始める。青山洋子に師事。上京後は様々なダンスを習得し、舞台やメディア関連のワークを展開。これまでに、夏木マリ、石山雄三/A.P.I.、山崎広太 などの作品に参加。

パフォーマンス集団"engram"、"BeiC"(地域に根ざした観客参加方パフォーマンスプロジェクト)メンバー。

 

中屋敷南 web

ダンサー/振付家。創作ダンスの経験から始まり、現在も作品を作り続けている。人間の感情、感覚、内包された欲望の表出を、繊細で表情豊かな動き、振付で表現。

横浜国立大学都市イノベーション学府Y-GSC修了。ヨコハマダンスコレクション奨励賞(2021)、同コンペ最優秀新人賞(2015)、象の鼻テラス FSP2021 最優秀賞(2021)ほか。

西本健吾
チーム・チープロ共同主宰。近年の活動としては、松本奈々子との共同制作で、都市における具体的な場所や時間から一つのステップを見出し、そのステップが喚起する複数のコンテクストとパフォーマーの身体感覚や記憶の交差をあつかうダンス作品を制作している。そのほかにも、リサーチャーやドラマトゥルクとしても活動してきた。

 

松本奈々子 

チーム・チープロ共同主宰。パフォーマー/振付家として、身体を批評的に扱うための方法として「踊り」にまつわる芸術実践を展開している。​チーム・チープロでのダンス作品の制作のほか、執筆からボランティア活動などの社会活動まで、言語とパフォーマンスをベースに多分野にまたがる活動をおこなう。2023年度セゾンフェローI。


編集者プロフィール/ 
藤崎春花

立教大学 現代心理学部 映像身体学科 卒業。早稲田大学大学院 文学研究科 演劇映像学コース修士2年。大学院では、主に日本の公共劇場における市民参加型演劇のドラマトゥルギーと公共性について研究中。

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