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第四回なんでマヤコフスキーなんだ?『ズボンをはいた雲』を読んで。

Writer's picture: team chiiproteam chiipro

Updated: Mar 1, 2018

引っ越しなどでバタバタして、久しぶりの記事になってしまいました。

本番も近づいたことだし、これからまたコツコツ書いていくぞ。

さて、前回ちらっと触れたように、今回はマヤコフスキーの長編詩「ズボンをはいた雲」(土曜社刊 小笠原豊樹新訳)の話。



この本は、


1915年彼が二十二歳のときに出版された初の長編詩で、ロシア・アバンギャルドを代表する作品で、愛する人にフラれた勢いで書き始められて、その人の名前は「マリヤ」で、「愛」「芸術」「社会機構」「宗教」にまつわる4つの章に分かれていて、でもエッチなところと政治的なところが大体検閲されてしまって……


そういう大事な話は小笠原豊樹さんの解説や「マヤコフスキー事件(河出書房新社)」にお任せしましょう。

情熱と攻撃性をまき散らす鋭い言葉と、傷つきやすくもオープンな感覚で紡がれたこの一冊は、青春パンクみたいだと僕は思います。Wikipediaをチラ見しながら書くのに疲れたので、あとは僕が特に面白いと思ったところをやみくもに引いていきます。



きみらが考えること、

ふやけた脳味噌でぼんやり考えること、

垢じみたソファで寝てる脂肪太りの血みどろの襤褸にぶつけて。

飽きるまで嘲り蹴ってやる、鉄面皮に、辛辣に。

僕の精神には一筋の白髪もないし、

年寄りにありがちな優しさもない!

声の力で世界を完膚なきまでに破壊して、

僕は進む、美男子で

二十二歳。(P17)


開いた口が塞がらないほどの、圧倒的な自信を感じます……。若い彼の無敵感は、この一冊に通じたテーマです。


「四時に行くわ」とマリヤが言った。

八時。

九時。

十時。(P20)


めっちゃ待ってます。トレンディドラマかよ。


だから今、

巨大なぼくは

窓のなかで背中を丸め、

額で窓ガラスを溶かす。(P22)


まだかまだかと外を見て、火照ったおでこを窓にこすり付けるマヤコさんが目に浮かびます。表紙の鋭い目つきの奥には、どうにも真っ直ぐで憎めない光があるような気がします。

彼にとって恋人の訪れは、心の手触りを奪われた生活を鮮やかに変えてくれるような、狂おしいものでした。マヤコさんらアバンギャルディストがロシアの社会主義革命を待つ気持ちと、強く重なります。「カクメイ」とは、ただの社会主義を打ち立てる政治運動じゃなく、心や手触りが機能不全に陥った世界を、人間らしい実感(言い換えれば『今、ここ』の感覚)の世界に変えるための実験です。


おのぞみなら、

ぼくは肉欲にとち狂い、

(それから空のように調べを変えて)

おのぞみなら、非のうちどころもなく優しくもなろう、

男どころか、ズボンをはいた雲にでも!(P19)


タイトルになった重要な一節。若さが全身みなぎっていた彼は、このあと待ち焦がれたロシア革命の到来を経て、社会の変化とともに老いていくことになります。マヤコさんの成熟につれて、語る言葉は個人から社会へ、恋から愛へ、攻撃から批評へとシフトしていきます。

そんな中でも、上の一節は、マヤコさんの中でつながり続けているんじゃないかと思います。「おのぞみなら~なろう」という宣言は、卑屈になっても、自分の世界を閉じずに、見える聞こえる外部のものと関わり続けるという意志だからです。


「カクメ・イカ・クメイ展」では、彼の言葉の断片に耳を傾けてもらうと、「生活・心」と「社会・政治」がとても純粋に接続していることが、きっと見えてきます。僕らと観客も、この近くて遠い回路をアクティブにすることこそ、今回マヤコフスキーの言葉を借りている意義の一つです。例によって演出の意図は知らないけど、断言しとこっと。


引っ越したてのこのガランとした部屋は、マヤコさんにはどう見えるんだろうか。

中馬でしたー。



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「20世紀プロジェクトvol.3: カクメ・イカ・クメイ展」

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