一応前回の記事でちゅーまんのアンチープロブログは最終回だったのですが、
「終演したのでカクメ・イカ・クメイ展の振り返りをしてくれ」と言われました。
僕は月末のバンドのライブ(※詳細は最後に)の準備で忙しいのですが……馬刺しをおごってもらう約束で手を打ちました。
しかし上演に捧げた9×4=36時間の間、肉体は満身創痍、意識は半ばトリップ状態で、客観的に先の公演を語ることは難しく。また的確な批評は観客の皆さんや、パンフレットにも鋭く本質的な寄稿を下さった島さん(Soul Matters)たちにお任せする方がよほど適任です。
だから、僕はあくまで出演した俳優の立場から、語ろうと思います。
長くなりますよ。
個人的に今回はものすごく「辛く」「寂しく」「疲れた」上演でした。はっきり言ってこの舞台は二度とやりたくない!でも得たものは確かにあります。語弊を恐れずに言えば、観客よりも俳優自身が西本の狙いとする体験をしているのかもしれない、という体感。
この感覚を、チーム・チープロの今後に生きると信じて記録しておきます。
まず理想として、「日常の異化」という狙いが常にチープロ作品の背景にはあります。
そして9時間のパフォーマンスが進むにつれ、この「異化」が自分の中で起きているのが分かりました。
見ていない方のために大雑把に作品の概要を記すと、
シーン①生まれては消えていくパフォーマンス(マヤコフスキーのテキストの一部を用いた一発芸的なパフォーマンスを延々と繰り返す時間)
シーン②革命的なパフォーマンス(俳優が集まり、統率された演出の中で、華やかで派手な単発のパフォーマンスを行う時間)
シーン③生まれる前に消えていくパフォーマンスと、徘徊する俳優たち(シーン①のパフォーマンスを言葉・動きの両面から解体した未完成風のパフォーマンスと、ときにそれさえ行わずステージを徘徊する時間)
※ようわからんかもしれませんが僕の筆力ではこれが説明限界です。
※演劇は見に来てもらってナンボですね。
具体的に起きた異化について述べてみます。
①受動的な異化__何度も何度も同じ言葉に違う発語パターンを試みるうちに、日常で発する言葉に対して感度が高まった。
例えば、芝居の合間に耳に入ってくる観客の言葉が、実はときおりチーム・チープロの「プレス」と称する喋り方に似ていることに気づいたり、別の戯曲の台詞を読む際に自分の発語のパターンに気づいて修正するスキルが上がっていたりする。
自明だと思い込んでいた「発語方法」「会話のリアリティ」への認識が一回りする感覚が確かにあるのです。
②能動的な異化__ストーリーなく、繰り返すだけの展開への没入が進み、9時間のなかで自らのパフォーマンスに様々な文脈付けを行っていた。
他の人のことは分かりませんが、僕は「理由や対象なく言葉を発する」のが不得手な俳優です(旧来のストレートプレイ畑の俳優は多くがこのタイプじゃないかな。つまりひどい目にあわされたなら『畜生!』というが台詞が言えるけど、何にもされてないのに虚空に向かって「ちくしょう」と無理なく喋るのは難しいのです)。
しかしチーム・チープロでは物語や人物設定などが存在しないため、常に発語の理由はメタ的な文脈にしかありません。だからパフォーマンスの度に、実は僕は「どのお客さんに」「どういう反応を引き起こすか」という目的を設定しながら望んでいます。「笑ってもらおう」とか「振り向いてもらおう」とか「ちょっと居心地を悪くしてやろう」とか考えて、演技に新鮮さと主体性を確保するわけです。
ただそれでも、(僕の力不足もありますが)繰り返しの構造の問題で遅かれ早かれ飽きが来てしまうのは避けられず、飽きて形骸化してしまえば、それはもう俳優の仕事を放棄するに等しくなってしまいます。そこで僕の場合、もっとアクティブに想像力を働かせて「遊び」を入れ始めます。
例えば床置きの照明器具をテレビカメラに見立てたり、共演者をライバルや恋人に見立てたり、脳内設定(苦笑)と架空の文脈を作っては壊し、作っては壊しするのです。その繰り返しが、一つのテキストに何本もの補助線を引き、線と線とはときにパラレルで不意に交わったり、同じ世界の物語の断片を紡いだりします。
9時間の間僕たち俳優は自分の中で、延々とテキストを異化し続けているのです。
そこから、僕が立てている仮説は、日常や舞台の外の事象に対して①受動的な異化が行われるのは、パフォーマンスのために②能動的な異化を繰り返すことで、俳優自身の異化を行う回路が鍛えられ活性化しているからではないかということです。
そしてまさに、このように異化を繰り返し続けて回路を促進することが、観客に対してチーム・チープロが企んでいることだと思うのです。
しかしこの企みの課題点を、島さんによる批評(※イカ展パンフレット収録)は鋭く突いています。
「 この公演の「良き観客」になろうとするならば、役者に課されたのと同様の過酷さが要求される。」
僕は今のところ、この指摘に対する有効な回答を持っていません。考えるべきは、おそらく「観客に主体的にものを考えさせながら、長く滞在≒観劇させること」だと思うのですが、人間は居心地がいい空間ほどものを考えなくなり、受け身になるものです。
したがってこの考えは「居心地がいいけど、落ち着かない劇空間をつくるべき」だという自己矛盾を孕んでいるように思えます……。
今回のイカ展への僕の所感でも、「居心地がよく受け身になって長居できた観客」「主体性を保ち思考を巡らせつつも、居心地悪く早々に集中を切ったり劇場を出た観客」が多くなってしまった気がします。
エンターテイメントの芝居なら前者を増やすことが主眼なので話は早いのですが……。
結局のところ僕は一客演に過ぎないので、これからのチーム・チープロに期待していたいます。そのためのヒントになりうる言葉を挙げて、本連載を占めようと思います。
キーワードは「孤独」と「息継ぎ」です。
イカ展の舞台で俳優はとても孤独でした。おおまかに言うなれば、演技のモチベーションと理由付けを、自家発電し続けなけらばならないのです。僕はイカ展の翌週に、比較的スタンダードな演劇に出演したのですが、やはりそういった作品での演技に比べて、大きな差異があります。その差異の功罪を考えるのではなく、俳優の内部で異化プロセスの活性化が起きる因子として考えてみて頂ければ。
①演出からの孤独
チープロの演出・西本は基本的に俳優に演出するのを極端に嫌います。今回のイカ展では特に、3つのシーンのうち二つの構成・パフォーマンスを可能な限り俳優自ら生み出させようとしました。おそらく西本の作劇における(人生における)ポリシーには「各俳優と言葉が対等であり、演出は何物も支配せず、究極的には主体的な俳優自身が演技を創造すべき」というものがあります。
トップダウンで「こう言え」「ああ動け」「そのテーマ・メッセージを伝えろ」というディレクションがないことは、俳優に舞台上で自由と孤独を同時に与えます。
「あれ、俺何でこんな変なポーズで変な詩を読んでいるんだ?」という疑問と向き合うとき、演出家は「俺の意志≒指示だ」と答えてはくれないのです。
②戯曲からの孤独
ストーリーを分解された言葉たちも、上記の疑問に答えてはくれません。「この意味で、こういう流れだから怒りを表現しろよ」とは限定してくれないのです。僕たち俳優は普段、戯曲のストーリーや人物の感情を、なるべく誤解なく読み取ろうとしているのに対して、チーム・チープロではエッセンスを嗅ぎ取り、再構成しているだけで、むしろ積極的に読み違えを図っているのですから。
③共演者からの孤独
発話(≒演技)のモチベーションとして大きなものに、文脈ともう一つ、ターゲットとしての共演者の存在があります。これもイカ展では基本的に剥奪されていますが、パフォーマンスの中で自然発生的に、俳優同士のセッション的なやり取りが増えていきました。特に消耗を見せている俳優のもとに、助けるように目線を合わせたり台詞を重ねたりしてコミュニケーションを図りに行くのです。その一時的なコミュニケーションによって俳優は少し回復していました。
④観客との孤独と回復
前述の通り、俳優は観客にリアクションを求めたり、関わり方を常に考えています。しかし、観客の方にはそれに乗ってくる義務はなく、概ね俳優は空振りを繰り返し、孤独に消耗していきます。ただその空振りのなかで時折成立するコミュニケーションが、また俳優を癒し、また孤独な演技に戻るエネルギーを取り戻させるのです。
こうして、一人遊びを繰り返す孤独な時間と、息継ぎのようにエネルギーを回復させるコミュニケーションの両輪で、僕の異化回路は回転していました。
どうすればこのサイクルを観客に無理なく共有できるのか、まださっぱり分かりません。
いいアイデアが浮かんだあなたは、次のチープロ作品にぜひ関わってください。
イカ展を見に来てくれたある俳優仲間から「役者が可哀そう」と評されました。
それはきっと長い上演時間ばかりではなく、この限りなくモチベーションの自家発電に近いパフォーマンスを強いる構造を指しているのでしょう。
これは今のところ直感でしかないけれど、この「可哀そうな役者」を救う手立てを見つけることが、チーム・チープロの次進むべき道ではないか、という気がします。
チープロ独自のやり方の一歩先で、俳優が自家発電から解き放たれ、より生き生きと変な喋り方をすることを期待しています。
さてさて最後に本題です、僕のバンドのライブの宣伝だよ!
「ざ・えんどライブ ~中馬先生の人生相談室~」
場所:Café Hammock (HP→ http://hammock-mitaka.com/ )
開演:3月31日(土)18時30分(開場は30分前)
入場料 事前予約:1500円 当日:1700円
※来場者には1stアルバム「ざ・すたーと(仮)」をプレゼントいたします。
着々と作りためてきた曲をひっさげ、ぐっと音楽に重点を置いたライブを行います。
ゆるゆるご機嫌なバラエティ・パートも健在!
今回は、某国立大学大学院でカウンセリングを学んだ(4か月で中退した)中馬が、一夜限りのお悩み相談室を開設。持ち前の情熱と偏見を武器に、谷とみなさんのお悩みをぶった切ります。一見悩みなさそうな顔の「谷です」の裏側も見どころです。
ご希望の方は終演後、Café Hammockの美味しい食事とお酒が楽しめるパーティにもご参加頂けます。こちらもお楽しみに!
※パーティは別料金となります。詳細はしばしお待ちください。
チケット予約はこちらから→ https://goo.gl/forms/noMTGu5dNIANtW4h2
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